教養ってね。
by 中村 仁 / 2017.08.27
■なぜ、教養を学ぶのか?最近、よく聞かれるようになりました。
たしかにね。
今読んでる『アラブ500年史(上): オスマン帝国支配から「アラブ革命」まで』を読んでも1円もなりませんからね。
「なぜ、学ぶのか?」質問する気持ちもわからないではありません。
■そもそも教養という言葉は、好きじゃないんですよね(笑)。
品格と同じで自分で言うヤツが、その時点で品格とか教養ないだろっておもっちゃいます。
でも、教養って「人」を知ることができるし、思考の枠から外れて物が見えるし、人生が楽しくなるツールです。
自分の意志で自分の考えを述べることができるためには教養が絶対に必要です。
■こんな回答では、教養を学ぼうとは思わないですよね(笑)。
専門分野を学んだ方が役に立つとあなたが思うのはもっともです。
実際すぐに役立ちますからね。
■でもね。すぐに役立つものは、すぐに役立たなくなります。
教養はスグに役に立たないからこそ、逆に言うと、ずっと役に立つと言うこともできます。
■たとえば、教養を学ぶと参照枠が広がって前提を疑う癖がつきます。
コンサルティングを提供をしている際、クライアントの立てた問いそのものが間違っていたと
コンサルタントとクライアントの両者が気づく場合があります。
■コンサルタントが前提を疑ってかかる教養を持っているからこそできることです。
前提を疑えるということは、今のルール自体を客観視できます。
状況によっては、ルールに従うのではなく自分で新たなルールを作ってしまうことだって教養が基礎にあれば可能です。
■学校のお勉強は、ルールの中でいかに早く最適解を出せるかが問われてきました。
従来の会社に所属していた会社員にとっては必須の能力だったことでしょう。
でも、時代が変わって来ています。
問いが間違ってる場合も多数あります。
既存の枠の外から回答を導き出せなければ、世界では闘えない場面も出てきました。
■イノベーションを起こしている企業は、いつだって既存のルールを逸脱し、自分たちのルールを作り出していますよね?
教養の一つである歴史を学ぶと、帝国の移り変わりのときはだいたい新しいルールを作った人が時代を作ったりしていると気づきます。
前提を疑うことができれば、自分が生きやすいルールを自分で作ることができます。
■自分の狭い考えだけで行動していたことが、いかに愚かであったか気づけます。
今、世の中の流れは早いです。
今後もさらに早いペースで変化が起こるでしょう。
では、どうすれば我々は時代の流れに適応できるのか?
昔起きた変化に対して、人類がどういう思考で変化に対応してきたのか?
学んでおくことです。
過去にしか教材はありません。
合理的な結果をもとめるなら、あえて非合理な行動をして見てはいかがでしょう?
■おそらく1年、2年では差がつかないし、「あいつ何やってんだ?バカじゃん」とか言われるかもしれません。
でもね。
複利の効果は計り知れないんですよ。
しかも、ほとんどの人が入ってこない領域です。
■専門外のことを学んだり、専門外の人と会いにいってみましょう。
イノベーションは無用の用から起こります。